


「みんなに好かれたい!」というのは、誰にでもある感情だと思います。
ぼくもそうでした。
ぼくも昔は、「みんなに好かれたいし、嫌われるのは嫌だ」と思っていました。
いや…
正直に言えば…
出来る事なら、今でもそう思っているかもしれません。(笑)
それでも…
「みんなに好かれる事」は不可能です。
お話にもあるように、どんな人にも価値観や感性の合わない人はいます。
熱心なファンだったのに、応援をやめてしまう事も…
好いてくれていた友人や恋人でも、時が経つにつれて疎遠になっていく事もあります。
尊敬も友情も恋愛も、その時その時で気持ちは変わるものです。
時として…
血のつながった家族でさえ、関係を切る事もあります。
そう考えると…
いかに、みんなから好かれ続ける事が難しいのか、分かりますね。
でも…
気持ちが変わるのなら、もしかしたら…
自分を嫌う人と話をしてみて、嫌いが好きに変わる事もあるかもしれません。
実際に、そういた嫌いから好きになる事もよくあります。
しかし…
絶対そうなるとは限りませんし、そうなるのに時間がかかる場合もあります。
重要なのはそこなんです。
その“時間”に制限がある限り…
ぼくは、「みんなに好かれる必要はない」という考えです。
誰にでも、“寿命”という時間に限りがある以上…
世界中全ての人と交流して仲を深める事はできませんし…
上手くいくかも分からない、嫌いから好きにさせる事に時間を使うのは、もったいないです。
そうした時間に限りがあるのなら…
ぼくは、「嫌いな人を相手にする時間を、自分を好いてくれる人の為に使いたい」と考えるようになりました。
その好いてくれている方も、もしかしたら、その先離れていってしまうかもしれません。
それでも…
その瞬間では好きでいてくれるその気持を大切にしたいですし、そうした体験が素敵な思い出になって、人生が豊かになっていきますから。
今の学校教育では…
「みんな仲良く」とか、「話せば分かり合える」と教えられていると思います。
それは素敵な事ですし、ぼくもそうあれば最高だなと思ってもいます。
だけど…
現実は、そう上手くいかない事があります。
その“教え”が枷となって、人間関係が上手くいかない場合も多々あります。
「みんな仲良く」、「話せば分かり合える」と信じ…
「嫌いな人とも仲良くしなければ…」と無理をして、精神をすり減らして接する方もいますから。
それは、精神衛生上、良くない事です。
なので…
「嫌な人との距離の取り方」、「親や先生や学校は“絶対”ではない」、「価値観や考え方に、絶対に正しい事はない」、「分かり合えない人もいる事を知り、適切な接し方を学ぶ必要性がある」などなど…
多様性の時代だからこそ、そうした“教え”があってもいいのではと思ったりしています。
学校教育で教えるには、“ドライ”な考え方なので、難しいかもしれませんが…
そうした考え方は、“いじめ問題”にも通じてくる事だとも思っています。
中々、理想どうりにはいかない事だとも理解していますが…
こうした考え方を一人一人が学ぶ事で、コミュニケーションに対してのストレスや悩みが減ればいいなと、ぼくは思っています。
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